七福神は仏教の七神(恵比寿、大黒天、毘沙門天、弁財天、福禄寿、寿老人、布袋尊)を言いますが
仏教の神は天部と言いたくさんの神がいます。七福神の信仰の始まりは室町時代以降で縁起仏
として庶民に広がりました。七福神の中でも一番有名な神は今から約1,400年前、聖徳太子が最初に
信仰した毘沙門天ではないでしょうか。
この毘沙門天で有名な寺院は奈良の信貴山です。
六世紀、大和朝廷が日本で最初の統一国家を作りました。しかし政治の実権は天皇家ではなく
有力な豪族がにぎっていました。
中でも力があったのは物部(もののべ)氏と蘇我(そが)氏です。その頃百済(くだら)より朝廷に
仏像が送られてきました。もともとその土地の信仰をしていた物部氏は仏像と仏教を強く反対を
しました。これに対して蘇我氏は中国及び百済より来た方々に仏教のすばらしさを教わりこの教え
こそが人々を救済できると考えていました。この時の王、欽明天皇はどちらとも決める事ができず
仏像と経典を蘇我氏に預ける事にしました。
それをねたんだ物部氏は蘇我氏の屋敷に押し入り仏像と経典を破壊してしまいました。この原因で
両氏の対立が強くなり戦(いくさ)になりました。
大勢の物部軍、無勢の蘇我軍、勝利は皆わかっていました。
そんな中、蘇我軍の一人の皇子(聖徳太子)は山中にて、強い光を受けその光の中にカブトを
つけた方に「そなたは仏の教えを学び世の人々のために働く者になるのだ。戦いは勝利する」
と言われました。
その後、蘇我軍は勝利し日本に仏教が広まりました。聖徳太子は自ら毘沙門天を彫刻し、寺院を建立し
「まことに信ずべし貴ぶべし山」として「信貴山」と名づけました。
日本の神社の多くはもともとは仏教、仏の教えにより建立されたものです。
信貴山の寺院は総本山朝護孫子寺(ちょうごそんしじ)と言います。宿坊もたくさんあり修行も
研修もできます。私も修行させていただいた寺院です。
奈良県生駒郡平群町信貴山大本山千手院
0745-72-4481